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オックスフォードの中のモダンデザイン

先日は久しぶりによく晴れたので、ユニバーシティ・カレッジ(たぶん、オックスフォード大学で最も古い)に行って、比較的簡素な石造りの建物の重厚さとこれに囲まれた芝と色とりどりの花、あるいは木々の対比を楽しみました。写真を撮りに他のカレッジに出かけたのはほぼ一と月半ぶりで、このところ曇りがちでおまけに肌寒い日が多くて晴れ間が続かずなかなか撮影計画を実行できずにいましたが、しかし、あちらこちらにさまざまな花が咲き、木々の緑は確実に鮮やかさを増してきて、いよいよ春がやってきそうな気がします(もしかしたら、春を通り越して一気に初夏になるのかもしれません)。ま、あんまり天気が良すぎるのも写真撮影には考えものだけれど(場面によっては逆光になることがある)。
翌日もまたこれに劣らないほどによく晴れたので、今度は散歩がてらに川(チャーウェル川)沿いを少し歩いてみようと思って、セント・キャサリン・カレッジ(Catzと呼ぶらしいです)に出かけました。ここはユニバーサル・カレッジとは逆に、一番新しいカレッジであることは何となく知っていたので下調べもせずに行ったのですが(つまり、あんまり期待せずにということ。新しいカレッジ→新しい建物という連想が働き、新しいものは概して良くないと感じていたからね)、少し歩くともうポロのアウトレットで見つけたコットンセーターではちょっと汗ばむくらいだった(さあどうしよう、これからしばらく着るものがない!)。残念ながら川沿いへのフットパスが閉じられていて川沿いは歩けなかったけれど、途中にあったセント・クロス・カレッジの建物(別館)の芝生にはTシャツ姿の学生がたくさん出てきていた。

Catzは思っていたよりもマンスフィールドから近くてすぐに見えてきたのですが、いかにもという建物が目に入ってきて、さらに近づくと塀も何もない代わりに、何やら工事中でずいぶん殺風景な感じがしたのでありました。「やっぱりね」とやや失望しながらも気を取り直して、何やら黒い袋をたくさん運んでいたおじさんにポーターズ・ロッジの場所を教えてもらい、そこで地図を貰って教わったとおりに進んでもなかなか中庭への入口が見つからない。やれやれと思いながら通りがかった2人組の学生に聞くと、今は工事中だからあちらから行けと教えてくれた(英語で)。それからやっと中庭にたどり着くと先ほどの学生が近づいてきて、あれが図書館だと案内してくれたのでありました(まあ、親切ですね。それともよっぽど頼りなげに見えたのかしらん)。
ようやくたどり着いた中庭は他のカレッジとは異なって閉じておらず、両側に長い学生寮があり、短辺の両端には図書館とホール(食堂)が控えるという構成で、おまけにとても広い。ずいぶん開放的な感じがしたのはからりと晴れた青空のせいかもしれません。短辺の両端の建物と学生寮の間は四角く刈り込まれた何列かの生け垣があり、ここを抜けて他の区域へつながるというしかけです。ついでに言うと、ここにはチャペルがない。
学生寮はコンクリートとガラス*、図書館はこれに一部黒くなった銅版で仕上げられており、反対側のホールは薄い茶色のタイルが貼られているのですが大部分を蔦が覆っている。いずれの建物もシンプルなもので、これ見よがしのところがなく、おまけにちょうどよい具合に古びているせいで落ち着きがあって、とても好ましく思われたのでありました(ちょっと退屈かもという評もあるようだけれど、オックスフォードの新しい建物で良いなと思ったのはほとんどこれが初めてだった)。いったい誰の設計なのだろう・・・。
さっそく帰って調べてみると、デザインしたのはアルネ・ヤコブセン**で、1960年から64年の間に建てられたということでした(なるほどね。ヤコブセンは皆さんも知っているとおりアント・チェアやエッグ・チェアで有名なデンマークの建築家・デザイナー。でも建築よりも家具のほうが有名ですね)。

その後もたくさんの建物が加えられ、いまでは学部生全員が学内の寮に住んでいるということです。350人収容というおそらくオックスフォードで最も大きくておまけに気持ちの良い食堂には娯楽室とバーが併設されるなど学生のための施設が充実しているだけでなく、大小の会議・集会室を持ち、ほかにもとても広いグランドや素晴らしい自然に恵まれている。おまけにモダン・アートの名品をたくさん持っているらしい***。天気が良かったせいか、図書館の奥の庭に面したテラスではいくつかの学生たちのグループが思い思いの場所でくつろいだり、話したりしていたのはなかなか良い光景でした。
ホールで一人座っていたセキュリティの人に断って(英語で)中の写真を撮ったあと外の小さな中庭に出てちょっとした感慨にふけりながらたたずんでいたら、追いかけるように彼がやってきてひとしきり話しをしたのですが、彼はこうした環境で働くことができてとても幸せだと言っていました(うーむ)。
写真を撮るのにちょっと倦んできたので何か飲み物を買おうと思ってバーに行くと、お姉さんにここの学生じゃなきゃダメと言われたのがちょっと残念でした(あんまり関係ないけど、セント・ジョンズでは無料で音楽を聴かせてくれるだけでなく、ワインまで飲ませてくれたのにね。もしかしたら、写真を撮っていいかと訊いた時に私を撮るのと言われて、いいえと返事をしたのがいけなかったのかもしれない)。 

The Oxford Handbook 2004という本によれば、Catzはオックスフォードの中でも最も有名なカレッジのひとつであり、最も若く、大きくて、近代的でかつ野心的であるために毀誉褒貶半ばすることもあるらしいのですが、その創設者は「勉学するに足る意欲と能力があり、しかも他のカレッジに通うだけの学費を払えない学生にオックスフォードの教育を与えることを目的とした」というようなことが書いてありました(うーむ。・・・。最近は、何だかうならされてばかりいるようです)。

*プライバシーがちょっと心配だけれど、建築の専門誌Architectural Review には「オックスフォード一の宿泊所(motel)」との評が載ったらしい。
**時の学長は新しく建物を建設するに当たって、建築家を探すのにほぼ2年間かけた後に実際に彼のデザインしたコペンハーゲンの近くの学校を訪れ、ここに足を踏み入れた時に探していた建築家を見つけたと確信したそうです(うーむ)。
***たとえば、入口近くの学生寮の前庭にはイギリスの女性彫刻家バーバラ・ヘップワースの彫刻がある。また、オックスフォード・ミュージアムでモダン・アート展が開催された時にはここからたくさんの名品が貸し出されたとのことです。
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# by fujimoto0223 | 2006-05-09 02:57

はじめての旅行

先日、イースターの休みの間に旅行に出かけてきました(こちらはよく休みがあるなあと思ってこないだケネディさんに聞いたら、8週間の授業と4週間の休みのセットが基本ということでした)。オックスフォードにきてからはじめての旅行で(8ヶ月も経つというのに!)、まずベルリンに行き、続いてデッサウ、ワイマールと南下しながら国境近くのスイスのバーゼルへ向かい、最後はフランクフルトからロンドンに戻り、オックスフォードへ帰ってくるという8泊9日の大旅行(!?)でありました。
何しに行ったかというともちろん建築を見るためですが、勘のいい人はもうなにが目当てか察しがついたのではないかしらん。お察しのとおり、バウハウスとロンシャンの教会を見るためでした。バーゼルからはロンシャンの教会やヴィトラ・ミュージアムへは比較的行きやすいからね。おまけに、ここはいまを時めくヘルツォーク&ド・ムーロン(青山のプラダ・ブティック)の地元であったために彼らの作品をたくさん見ることができる。

また、短い間にたくさんの親切な人と出会いました。ワイマールの旧バウバウハウスの校舎(ヴァン・デ・ヴェルデによる設計;現バウハウス大学)では、たまたま廊下にいたおじさんに尋ねたらなんと建築の先生で、いろいろと見どころを案内してくれました。
そして、最後に立ち寄ったフランクフルトでは、ホテルで教わったドイツ料理を出すお店が分からず、ままよと入った居酒屋風のレストランでたまたま同席した夫婦が親切な人たちで、ドイツらしい食べ物が食べたいのですというとメニュを見る間もなくこれとこれといって説明したあと(英語で)、オーダーまでしてくれました(当方はドイツ語のメニュは何が何やらさっぱりわかりません)。しかもその後、なんと明日見るべきものということで夜のフランクフルトをひとしきり車を走らせて案内してくれたのでありました(なんという親切さ!それだけでなく、とてもチャーミングな女性なのでありました、ご主人のほうもなかなか渋かった)。
彼らは旅行が好きだというので、「それでは今度はぜひ日本にきてください、できれば9月以降に」と言うと(英語で)、「今年の休みはクィーン・メアリ号(2世でしょうか)で船旅をすることになっている」ということでした・・・!。

と、ここまで書いてきて、建築のことに全く触れないままでした。詳しく書いているといつになるかわからないので(ちゃんと調べないといけないこともある)、簡単に。
なんといっても、バウハウスは感慨深いものがありました。特に、デッサウのグロピウスの手になる校舎の壁に縦に並ぶBAUHAUSの文字を見た時には建物についてどうこうという前に、「ここからモダンデザインの思想や教育理念、そして作品が生み出されたんだなあ」と思うことしきりでした。
一方、フランク・O・ゲーリーのヴィトラ・デザイン・ミュージアムは、正直に言えば、それほど良いとは思わなかった(ミュージアム・ショップに、以前共訳した日本語版の「いす・100のかたち」がちゃんと置いてあったのにはちょっと驚いたけれど)。内部のおもしろさは、フランクフルトで見たハンス・ホラインのモダンアート美術館の方が勝っているように感じたのだけれど、評判のよいグッゲンハイム美術館はどうなんでしょうねえ。
そして、小高い山の上に建つロンシャンの教会はやっぱり素晴らしかった(もし晴れていたならば、ステンドグラス越しの光がもっと美しかっただろうというのが残念だったけれど。時おり小雨が混じって寒かった)。
ヘルツォーク&ド・ムーロンのことは良く知りませんが(なにしろ、住宅以外の建築雑誌はめったに見なくなってしまった)、表層の扱いが極めて特徴的だと思いました。昔好きだったマリオ・ボッタのものも見ましたが、今となっては・・・という感じがしました(ま、時が移れば人の好みも変わるということで、しかたがありませんね)。

今回はいろいろ見ることができて楽しかったけれど、やっぱり少々くたびれました。もう少しゆっくりした日程でないとね。おまけに、急に思い立って出かけたものだから休館というところもあったし、バーゼルのホテルのようなひどいところもあった(とほほ)。しかし、その後たまたま見たある建築系の研究室のホームページにあった彼らの旅行のスケジュールには驚きました。11日間で6都市140もの建築を見るというすさまじいものであります。たとえば、僕らはバーゼルには3泊したのですが、彼らは2日間で27もの建物を見ているのに対し、こちらはほぼ半分くらいかなあという感じであります。やっぱり若さがものを言うのでしょうか(うーむ、やれやれ)。
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# by fujimoto0223 | 2006-04-28 16:53

街が美しいいわけ

まずは訂正のお知らせから。前回のオックスフォード大学に女子学生の入学が認められた時の年号について修正しましたので、ご覧下さい。
それから、24日は人間環境デザイン学科はじめての卒業式でした。卒業生の皆さん、おめでとうございます。

さて、今日の話題。オックスフォードの街が美しいことには触れたことがあるし、一方でけっこう汚いことについても何回か書いた。そこで、今日は、なぜ、オックスフォードの街が美しいかということについてほんの少し考察してみようというわけです。カレッジ巡り報告は、あんがい調べることが多く、おまけに間違ったりもしますから・・・(とほほ)。

そういえば、伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」の中にパリの街はなぜ美しいかということを論じたエッセイがあったなあ。そこにはたしかこんなことが書いてあったように思う。
パリの街が美しいのは、フランス人のセンスの良さはさておき、ひとつには街の建物がほとんど石造であること(材料の統一ですね)、ふたつめは高さがほぼそろっていること(これはスカイラインの連続性)によるのであって、この単純化が行われることで美しさが生まれると喝破したのでした(ところで、この本を読んだことがない人は、いますぐ本屋に走るのがよろしい)。
この2つは今となっては当たり前のことですが、何しろ40年以上も前のことです。しかもこれらを書いた時、彼はまだ20代後半からやっと30代に入ったかどうかというのだからえらいものですね。ついでに言うと、単純化の効用についても見逃せません。デザインするというとついいろいろと複雑にしようとするし、おしゃれしなくちゃという場合もつい飾り立てようとしがちですから。文章も同じこと・・・(うーむ、なかなか身に付きませんね)。

ということで、写真をご覧下さい。
あれっと思われたかもしれませんが、歴史的な街並でもなくシャレた街並でもありません。ごくふつうの住宅地、材料やスカイラインはほぼそろっているとはいうものの、まどちらかというと少しチープな感じのするところです(何を隠そうわが関東学院ハウスも、場所こそ違えこれの構成要素であります)。
それでも何となくすっきりした感じがするでしょう。さて、いったい何があるのだろうか。実は何かがあるのではなくて、あるものが無いのです。はい、お分かりのように電柱および電線が見当たらないので、すっきりとした家並みに見えるというわけです。
これも、残念ながら新発見というのではなく、ずいぶん前からいわれていることなのですが、百聞は一見に如かずということで取り上げました。当然、オックスフォードの街並みも、パリの街並みだって、電柱のないことが相当効いていると思うわけです。たぶんヨーロッパの美しい街はみんなそうだろうなと思う(まだ確かめていないところが多いけど。近いうちに確認の旅に出かけることにしよう)。

それにしても、日本の街並みや田園風景から電信柱が無くなったらどんなにさっぱりすることでしょうね。
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# by fujimoto0223 | 2006-03-31 01:49

ワダム・カレッジ − ジャコビアン・ゴシック

今回は、全カレッジ撮影計画の第2弾、ワダム・カレッジ(Wadham College)です。
あのクリストファー・レン(覚えていますか)は、ここで学びました。
ワダム・カレッジは、1610年に聖アウグスティヌス修道院の敷地に建設が始まり、1612年に完成しました。その名前は、その創設者であるサー・ニコラス・ワダム(Nicholas Wadham)とその妻ドロシイ(Dorothy)未亡人の名にちなんでおり、ワダム夫妻の彫像は時の国王ジェームズ一世(King James I)の彫像とともに建物の壁面を飾っています。

ワダムは歴史的なカレッジのうちで一番若いものの1つであるけれど(といっても、400年も前の話です)、17世紀はオックスフォードではカレッジの改築が盛んに行われたために、 最も古くかつ良く維持された建物をいくつか持っていて*、その中心となった建物は17世紀のイギリスの様式である「 ジャコビアン・ゴシック(Jacobean Gothic)」スタイルの最初の例ということです。ジャコビアン・ゴシックというのは、ゴシックに当時のルネッサンス様式を取り入れたものですね。たとえば床の黒白の市松模様や欄干等の魔物や怪獣で飾ったのもこの時期らしい。

それにしてもオックスフォードではゴシック様式が目につくなあと思っていたら、例のティヤックの本 によると、ヨーロッパの文脈で見ると古典主義がすでに国際建築の共通言語になっていた時(保守的なイングランドでさえもジェームズ一世王朝はすでに古典主義に魅了されていたとある)、17世紀初頭のオックスフォードは、ゴシック様式をずっと選択してきていたために際立っているということでした。やっぱりね・・・。ま、いまでも英国人の多くは、教会建築とゴシック様式を結びつけて考えるそうだからね。当時のオックスフォード大学は中世と同様に、古典と宗教の正統的信仰の要塞だったというから、自然なことだったんでしょうね。ワダム・カレッジはその典型だというわけです。

ワダムにおける習慣と 共同生活は意識的により古い大学のそれにあわせて形づくられたので、建物の構成も同様に、食堂(Hall)はすでにすたれかかっていた内陣しきりの廊下を通って入り、そして中央のいろりから暖をとり、天井を貼らず垂木や野地板を見せるという中世の設いを復活させることになりました。
このデザインと職人の選択には、ドロシイ未亡人(なにしろ75歳を超えていたもかかわらず、わずか四年でカレッジの創設の許可を得、おまけにそのデザインや運営の骨子を策定したと言うから、たいした人ですね)が深くかかわり、彼女が採用した石工ウィリアム・アーノルド(William Arnold)も大きな役割を果たしたということです(当時の石工の技量もたいしたものだ。昔の日本の大工さんと同じですね)。

「ワダム・カレッジのチャペルは、その改修後にステンドグラスと彫像を取り戻したイギリスでの最初の宗教的な建築であったと思われる」という記述もありました**。16世紀前半に起こった宗教改革以来宗教建築はほとんどつくられなかったということと関係があるのかしらん。

このほか、戦後の学生の劇的な膨張によって他の17世紀から18世紀の建物を使うようになり、元来聖書をしまっておくために作られた倉庫の転用や何人かの建築家によってデザインされたいくつかの近世・近代の建物が利用されたのですが、そのなかには、これも先日取りあげた世界で最も古い音楽専用ホールのホーリーウェル音楽室が含まれます**。音楽堂は1974年建設です。ついでに言うと、設計はエドモンド・ホール(St Edmund Hall)の副学長のトーマス・カンプリム(Rev Dr Thomas Camplin)という人です−どうです、だんだんわかってきますね、でもけっこう時間がかかります。やれやれ***。もちろん、20世紀になってから新しく建てられた寮や図書館もあって、初めて行った時は、新しい建物の中にある娯楽室でビリヤードをしている学生がいました。ま、彼らは本当に恵まれていますね。

そしてここは、建物のほかに広大な庭を持っています。しかもその中には、フェロー(先生たち)専用、ワーデン(学長ですね。これの呼び方はカレッジによって異なり、ほかにプレジデント、プリンシパルがあるようです)専用の庭というものもある(これは今まで見たカレッジの多くでも同様でした)。また、一般の中庭の芝生には、自由に入っていいところと「入るな」(KEEP OUT)と書いてあるところの2つのタイプがあって、ワダムは前者でした。
こないだ、こことマンスフィールドのフェローをかねている物理学のスクマ博士(Dr Sukumar)の研究室を見せてもらった時に、ふつうは入ることのできないフェロー専用の中庭も見てきました。ここの庭には古くて珍しい樹木がたくさんあって、新緑の季節はそれは素晴らしいということでした(その頃にまた見せてもらう約束をしたのは、当然です)。この時に、スクマ博士に、大学は自由な精神を尊重するところだろうになぜそんなヒエラルキーが存在するのだろかというような趣旨のことを聞いたら(英語で)、「一方で競争的な社会でもあるだろう」といわれました(英語で)。なるほどね。ま、こういうところで、しばし思索にふけったり、天気のいい時は授業をやったりするのですね。
そして、彼のワダムの方の研究室は広い上に、バスとキッチン、そしてベッド・ルームまでもがついているのでありました。ただ、なにしろ古いので床は水平ではないと言っていました(英語で)。一方、マンスフィールドの方はたぶん6帖分もないくらい狭かった。実は、壁面の彫刻のことも最初は彼に教わりました。

ところで、オックスフォード大学は、1974年まで、女性の入学を認めていなかった(と書きましたが、これは間違いで基本的に大学が共学となった年でした。03.30訂正****)。大学に入ることができたのは、 洗濯をするための女の人だけでした(知ってました?)。ワダムは女性の学生を受け入れた最初のなカレッジの一つでもあるそうです。
そして、学生は一般に積極的かつラディカルで、南アフリカのアパルトヘイト政策に対する反対運動もここが最も盛んだったということです。1984年には学生の組合は当時捕らわれの身であったネルソン・マンデラ(Nelson Mandela) が解放されたならすべての大学「バップ」(ディスコ)を終わらせるという動議を通過させた。ところで、こうしたディスコは、ぼくの英語の先生のセリーヌ(Celine)の通うカレッジにもあるそうだけれど、だいたい週1回開くらしい〈マンスフィールドにもあるのだろうか〉。
しかし、その甲斐もなく(?)伝統は継承されたようで、マンデラが解放された1990年以降も、ここの「バップ」は閉じることなく、Wikipediaによれば、おまけに今でも年に1回、少し堕落したような接待をして、他のカレッジの学生にも人気が高いらしい(ワダムはゲイの権利の支持者としての評判も持っているというのだけれど)。やっぱりね・・・。でも少し堕落した接待というのはどういうものだろうね。
*Wikipedia
**Wadham College HP
***というわけだから、間違いもあることと思います。発見した人は速やかに知らせてください。
****こないだある本でサッチャーがオックスフォードの卒業だということを遅まきながら知りました(面目ない)。そうすると、いくら何でも計算が合わない。というので、人に聞いたりしながら(英語で)調べました。それでわかったことは、1974年というのは基本的に各カレッジが男子学生・女子学生ともに入学を認められるようになった年でした(ごめんなさい。なお、現在ただひとつSt Hilda'sカレッジだけが女子大としてがんばっています)。
女子学生の入学が認められるようになったのは、オックスフォード大学のホームページに1878年に女性のためのアカデミック・ホールが設立されてからとあります。しかし、これが大学のメンバーとなるのは1920年というからちょっとややこしい。これらの情報もアルマの手を借りて入手してあるので、まもなく明らかになると思いますが、今回はちょっとくたびれたので、ここまで(実は、書きかけの原稿がパソコンの不調で消えてしまった。たいしたものではなかったのだけれど、やっぱり少々がっかり・・・でありました)。
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# by fujimoto0223 | 2006-03-23 23:12

シェルドニアン・シアター

今回は、ちょっと寄り道をしてシェルドニアン・シアターです。
もちろん、全カレッジ撮影計画が第1回だけで早くも挫折、というわけではありません(それは、いくら何でもねえ)。

シェルドニアン・シアターはボードリアン図書館(オックスフォード大学の図書館です)に隣接して建つ建物で、ここでは卒業式やら任命式などの行事が行われます。ま、大学の講堂のようなものでしょうか。
そうそうイベントがあるわけでもないから、当然ここではコンサートなんかもやるわけです。

それで、こないだ行ってきました。時間は午後8時開始ということで日本のそれと比べるとちょっと遅いですね。モーツァルトのピアノ協奏曲シリーズの何回目だかで14番、18番そして21番でした。オーケストラはオックスフォード・チェンバーオーケストラで、指揮とピアノは、Marios Papadopoulosという人でした。といってもほとんど誰も知らないでしょうけれど(ショスタコヴィッチのピアノソナタなんかのCDなんかを出していて、これを褒めているCD評が掲載されていました。僕は全く知りませんでしたが、オックスフォードでは結構目にします)。
演奏はというと、とくにはじめの2曲はちょっとテンポが遅くて情緒的過ぎるような気がしました。ここで、おもしろいことがいくつかあったのですが、一つ目はステージと観客席がとても近いこと。
あんまり近過ぎて、曲が終わって指揮・独奏者が花道を引き上げる時にトイレにたった(たぶん)おじいさんが指揮者の前に立ちそうになった時は、みんな驚いたのではないかと思います。ま、それだけ気の張らないコンサートということかもしれません。間の休憩時には、お客さんがピアノのまわりをぐるりと取り囲んで、ちょっとさわったりしながらつぶさに観察していました。
2つ目は客席についてです。席は当然のことながら値段と対応しています(ちなみに安い方から£10,17.5,26、37となっております)。ただこれは必ずしも音のよさによるというのではないようで、椅子の種類によるのであります。一番いい席は、独立した椅子で背もたれがあり、2番目は背もたれがあるベンチで。3番目は背もたれのないベンチです(実は僕はこれだったのですが、座面の高さが50センチくらいあって疲れたの何の、おまけに窮屈だしね。それにしてもイギリス人は昔から足が長かったんですね)。4番目は背もたれのないベンチですが、最上階の席(いわゆる天井桟敷です)。
3つ目は、ホルン奏者(3枚目の写真の中央の一番奥)。この人は、自分の出番じゃない時はしょっちゅう足を組んだり、あくびをしたりしておりました(もしかしたら二日酔い)。しまいには演奏がおわり、オーケストラのメンバー全員が立ち上がって指揮・独奏者をたたえて拍手しているのに、一人だけ拍手をせずに所在なげに立っておりました。きっと指揮者からあとでこっぴどくやられたのではないでしょうか(たぶん)。もしかしたら、首になったかも。
また、アンコールが、やったばかりの21番の第2楽章をもういちど丸々というのもちょっと珍しいかも(ま、前にもあったような気がしなくもないです。これは、ここが聞かせどころというか有名だからということもあるでしょうが、それよりも本番でうまく行かなかったので弾き直したというのが当たっているような気がします)。

さてさて、前置きが長くなりましたが、この建物は1664-7年にかけて建てられました。設計は、当時33歳の数学者で科学者でもあったクリストファー・レン(こないだとりあげたセント・ポール大聖堂の設計者ですね)。その時に書いた(たぶん)ように彼はオックスフォードで学んだりして、縁の深い人です。

平面は馬蹄形というかU字型をしていて、ちょっと変わった建物です。といってもこれにはモデルがあり、それはローマのMarcellus劇場というもので、Sebastino Seriro(セバスチアーノ・セルリオ1475〜1554頃)という人の「建築書」(1540)に図が載っている。この本は図版中心の実用書で、ヨーロッパ中で広く読まれたようです(Tyack、毎度おなじみですね、によればこのセルリオの本はルネッサンス建築の書物の中でも最も有名なものだということです)。5つのオーダーをはじめて図で示したのもこの書らしい。
ついでだから、ちょっと復習しておくと、ドリス式、イオニア式、コリント式(ここまでは知っているに違いないけれど)、このほかにコンポジット式、トスカナ式というのがある。さらに、ドリス式はギリシャ・ドリス式、ローマ・ドリス式に分けられます。ちなみに、ギリシャで用いられた最初の3つの様式は、ウィトルウィウスによって記述がなされています。
ところで、モデルとなったMarcellus劇場は恒久的な屋根は持っていなかった。日差しが強い時は、キャンバスあるいは天幕がかけられたということですが、これでは大学のセレモニー用のホールとしては具合が悪いので(だいたい、イギリスの天気は変わりやすいし、雨も降るからね)、レンは工夫しなければならなかったわけです。
最も重要だったのは、屋根を内部に柱を立てないで支えることで、70 フィート(21.5メートル)のスパンを飛ばす必要がありました。これはオックスフォードに現存するどの屋根よりも大きいもので、このおかげで、大学の人々や観客が、柱に邪魔される事なく式典を見たり、聞いたりすることが可能になったというわけです。そして、同じ頃にオックスフォードで建設されていたアーチ状のブレースとハンマービームの屋根とは異なり 、屋根の構造は見られるように意図されなかった。そのかわりに彼は、宗教と学問の勝利を祝う寓話の絵で覆ったのでした。
また、レンはもともと建築家ではなかったので、これが建築のデザインが専門家の手からすぐれたアマチュアの手に渡る決定的な契機になったとも書いています(分業の始まり?)。

さらにTayackは17世紀後半のオックスフォードの建築の革命はこのシェルドニアン・シアターによって告げられたと言い、そして、このシェルドニアンは、典型的な古代からの構成にあわせて直接形づくられた、オックスフォード最初の建物であり、イギリスでも最初に建てられたもののひとつであるとも述べています。古典主義の始まりということでしょうか。この古典主義、ネオ・クラシズム、ゴシック・リバイバル、ネオ・ルネッサンス等の建物をオックスフォードではたくさん見ることができます。今ままで見たところでは、オーダーはイオニア式が目に付きました。質実剛健でもなく華美に過ぎることもなく、適度な優美さを持っているところが好まれたのかもしれませんね(ちなみに、シェルドニアン・シアターでは、イオニア式とコリント式を混ぜたコンポジット式が使われています。コリント式のアカンサス葉飾りはちょっと簡略化されているようだけれど)。



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